鷺乃湯の歴史(激動の昭和~現在)

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▲上諏訪駅方面から見た「さぎのゆ」 私たち諏訪の人間の生活は、諏訪湖と 共にありましたが、大雨の降る度に諏 訪湖が氾濫して、お客様を駅まで船で 駅まで送り迎えすることもありました。
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▲当時さぎのゆはとてもハイカラという評判で湖の対岸の岡谷では「さぎのゆ」のネオンがよく目立ったようです。
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▲三階建の洋館を増築
(この頃片倉館も建てられた)
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▲旧本館は昭和11年から12年の建築。諏訪地方の木造3階建旅館では最後に残された本格的建築物でした。
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▲本館を増築
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▲正面玄関を増築
  庭内に湧き出る温泉は、大正12年の関東大震災までは多量の硫黄を含み白色を呈して浴槽に付着すれば、あたかも白き鳥の羽の如き美観を為すために、人々はこの温泉を「鷺乃湯」と呼びました。硫黄を含む白色の泉質は大正の震災のころより変化を来たし、現在はうすい茶褐色をしており、神経痛、リューマチ、肝臓病などに効果があると言われております。

激動の昭和へ

【昭和前期】

二代目館主 伊東忠蔵

 二代目館主伊東忠蔵は、教育者、スポーツマンとして活躍しました。時代は昭和8年の国際連盟からの脱退を機に一気に帝国主義へと向かい、忠蔵も召集された為、大女将伊東喜美子一人で家を守っていました。旧本館は館主が出征中の昭和11年に建築されました。1階に冠木門、2階に武家破風、3階に千鳥破風と豪壮な建物でした。太平洋戦争中は隣接する「ぬのはん」と共に海軍の病院として徴収されていました。
 戦後、「ぬのはん」とともに「諏訪観光ホテル」として旅館業を再開し、昭和25年日本観光旅館連盟創立と同時に参加しました。翌年には各々が独立し、昭和27年には「有限会社 諏訪観光ホテル」を設立し、同時に国際観光旅館連盟に参加加入しました。

古き良き面影を残して

【昭和後期~平成】

伊東克郎 三代目館主
    

 昭和32年二代目忠蔵が49歳の若さで亡くなり、伊東克郎が三代目館主となりました。昭和39年5月に政府登録国際観光旅館(登録476)の施定を受けました。時代はモータリゼイションの時代になり、諏訪湖畔も整備され、中央自動車道の開通に伴い諏訪インターチェンジもオープンしました。そうした時代背景に「鷺乃湯」も隣地の買収、本館増築を行い、平成3年8月には、創立80周年を機に新館秀芦閣を増築し屋号も「ホテル 鷺乃湯」とむかしながらに改名しました。

大浴場露天風呂

また改築に際しては、本館1階 冠木門を大浴場露天風呂に、本館玄関 格天井を料亭内に、数部屋の違い棚も客室に移築し昔の風情を残しております。
おかげ様でお客様からは窓の外に広がる諏訪湖をより豊かにいただき、庭園を中心とした「ゆとりとくつろぎの空間」は高く評価をいただいております。

明治時代へ戻る
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▲平成3年新館「秀芦閣」増築工事 創業当時の明治末期に造られた土蔵は壁 などを修理し、庭園の一部として保存され ました。
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▲現在の当館